先週の礼拝メッセージは有名なたとえ話、放蕩息子の箇所から語られました。
家を出て放蕩の限りを尽くした後、罪を悔い改めて、父のところに戻った弟息子🐖
贅沢もせず、父のもとで真面目に堅実に生きてきた兄息子🌾
みなさんはどちらのタイプですか?
教会に来ている人ですと、自分のことを弟タイプだと思っている人が多いかもしれません💭
しかし、教会の中であっても、兄タイプの心を持つ人はいます。というより、人間誰しも兄タイプの側面を持っているものではないでしょうか。
兄息子は弟が帰ってきた時、歓迎されているのを見て怒りました😤
放蕩の限りを尽くした弟のように、私たちの頭では理解できないほどの悪事を働いてきた人が目の前に現れる時、私たちは不貞腐れず歓迎することができるでしょうか。
とても難しいことのように思えますが、神様からの要求はそのようなものです。
もちろん、正しく堅実に生きることが悪いのではありません。
ただ、いつも「神様のために」「神様に喜んでほしいから」という動機を心の真ん中に置く必要がありますね。
みことば
父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』」(ルカの福音書15:31-32 SKY2017)
