「私の息子を死なせるために来られたのですか?」
これは、聖書の中である女性が、預言者エリヤに対して投げかけた言葉です。
とても鋭く、恐ろしいですね。
ある貧しい女性のところで世話になっていたエリヤ。
彼が来てから女性の息子の体調は悪くなり、遂に命を落としてしまいました。
突然押しかけたかと思えばそのまま居座り、一時的に食べ物が増やされて嬉しくなったのも束の間、息子の命は取り去られ…
「私の息子を死なせるために来られたのですか」という声は、女性の心からの叫びでした。
エリヤはこの女性の言葉を深く受け止めました。
亡くなった男の子を抱いて一人で2階に上がり、三度祈りました。
女性の言葉にエリヤも深く傷つき、悲しんでいたことでしょう。そんな中で彼は叫ぶように祈りました。
祈りは聞かれ、息子は命を吹き返しました。
悲しみの淵にあって、何をすれば良いのか、一体何ができるのかわからない時があります。
「何のために来たのか」という問いに、自分自身で答えられない時もあります。
それでも私たちには、最後の砦として祈りが残されています。何がなくても、祈ることができます。
何もできないと落ち込む時こそ、祈りましょう。
呟く祈りも叫ぶ祈りも、神様は必ず聞いてくださいます。
聖書のみことば
彼は主に叫んで祈った。「私の神、主よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、主に叫んで祈った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。(列王記 第一17:20-22 SKY17)
